ぼのぼの回想記

何気ない日々にも幸あれと

好きなことができる幸せ

 

こんばんは

お疲れ様です。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

今日はお題から

 

わたしがとらわれていたしなきゃいけないと思っていたもの

は読書です。

 

最初は違った。

純粋に本が好き。

本屋さんが好き。

図書館が好き。

 

そうだったはず。

多分小学生の頃

難しい本が読めなくたってよかった。

 

でも段々なんで読めないのだろうと思うようになった。

そう思いだしたからなのかなんなのか読書は苦手になった。

 

でも読みたい。好き。

 

多読賞なんてものをとったこともある。

中学生の時だ。

 

簡単な授与式だったが

授与される時

すごく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

だって、借りるだけで読めてないのだから。

本が好きで、読みたくて借り続けただけだったから。

 

高校、大学、社会に出てからも

本が読めないのは変わらなかった。

 

理由が知りたかった。

多読や速読術の本をバラバラとみたりしたけど

理由はよくわからなかった。

 

SNSとかはサクサク読めるから、障害とかじゃなく集中力がないだけなのかなとかも考えた。

 

大学まではこのことに固執していた気がする。

でも社会に出たら、社会の荒波に揉まれてそれどころではなかった。

図書館にも行かず、本に触れることはなくなった。

 

そんな時、SNSでこんな本を見つけた。

 

本を読めなくなった人のための読書論 https://www.amazon.co.jp/dp/B08FDPTPKM?ref_=cm_sw_r_apin_dp_0Z8RH7BVEBM85A7GNKVB

 

この本を読んだわけではないけど

読んだ人の感想とか紹介文でふと惹かれた。

 

本を読めない時間にも意味があると。

 

本を読めかなった時間は本を読まなくても良かったんだと。

 

本を読めずに借りた本にも意味があるのかもしれないと。

 

それでもすぐ本を手に取るようなことはなかった。もう諦めていたから。

 

きっかけは

市の4ヶ月検診の際にもらったファーストブック。

初めての本。

絵本である。

 

絵本を読んであげると我が子は楽しそうに本をバンバンと叩く。

内容がわかってはいないだろう。

むしろわたしがずっと同じ本だと飽きてしまうと思ったのが、図書館に行った一番の理由だ。

 

絵本を借りて、ふと目に止まった題名だけ知ってる本も追加で借りた。

 

読んでる幸せは、とても静かで穏やかなものだった。

読めるという事実は本当に嬉しかった。

 

今でもなぜ読めなかったのかわからない。

というか、今なぜ読めているのかも正直わからない。

 

きっかけはあの本の記事だと思うってだけ。

 

次読めなくなった時に、理由を知りたいとも思うが、、、

 

まぁでもそうなったらそうなった時。

読めないなら、

読みたいけど読めない、でいいのだ。

今はそうゆう時期じゃないということでいい。

 

次読めなくなるその日まで

本を読めばいいのだ。

 

だって読書は好きなことであって

しなきゃいけないことじゃないのだから。

 

そう思う今日この頃。