ぼのぼの回想記

何気ない日々にも幸あれと

この場所にいる意味

春休みは研究室に行く日々が続いております
ある研究室では、平日は9時にきて、5時に帰ることを
義務づけているという話を聞きました。
それは春休みでも変わらないらしく、休むのは先生の許可がいるそうです

自分の所属の研究室は
いるときはいるし、いないときはいないし、まちまちです。
昨日までは、発表の準備に追われて先輩は先生と一緒に発表練習をしていたので
毎日土日も含めて来ていましたが、
今日はいつもは姿を見ないような人の姿が見受けられるだけです。

前、「今日昼から先生が不在だから、休もう」と研究室のみんなで話している姿をみました。
そう聞くと、悪い印象を受ける人もいるかもしれませんが
私はそうではないと思いました。

弱音がはけるところが、頑張るところにあるということは
すごいことだと思いました。

先生が不在の時に、揃っていつも頑張っている人が研究室にいないのを見ると、
なんかとても面白くて、可笑しくて
それと同時に本当にお疲れさまですと心から言葉が出てきます

先生はそれを分かっているのか分かっていないのか
触れることはありません

優しい空間が広がっていて
その研究室に頑張りにこれるし、
行き詰ってしまったときにもそこには居場所があるのです。




昨日は発表の場がありました。
と言ってもフリーディスカッションで自ら発言しなければなりませんでした
苦手なことも頼まれればやるスタンスです。
自ら発言することも、指定されて発言することもとても苦手です。

けれど苦手のまま終わりたくはないという気持ちはとても強いのです
その場でしっかりと自分の意見を言う人を尊敬しています。
その人のようになりたいとも思います

その場では当てられてですが発表する機会を手に入れることができました。
なんとかその場は乗り越えて感じです


「発言する気がないならその場にいる意味あるの?」

 私が尊敬する人の言葉です。
フリーディスカッションの場で発言しなかった人はなんの意味があるのかと。

私にとっても痛い言葉でした。確かにと、納得する部分が多かったからです。
発言する場で発言しなければ、伝えなければなんの意味をもたないと。

自分がここにいる理由をしっかりともつことができていて
多分未来までも想像しているのだと。

私は敵わないなんて思わなかったです
ここにあるのは闘争心。
同じになれない。違う人だから。
けれど私なりの形で絶対手に入れてやるとここに誓う。